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● 17年09月21日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士2 №198 若松高校奨学金事件 ⑧ 陳述書Ⅰ



原告が裁判所に提出した陳述書は以下の通りです。

一、私は林真理子の妹で、林雪子の叔母になります。私たちは若松の波打地区で生まれました。私と姉は、母が日雇いみたいなことをして育てられました。家は貧乏で、米を食べることはほとんどなく、団子汁を食べて育ちました。

ふとんもなく、ひとつのふとんに一緒に寝ました。靴がなくて、天気のいい日も長靴を穿いて学校に行きました。雨が降ると今度は傘がなく、学校に行けませんでした。遠足の日にも食べ物がないので休みました。

二、私が小さい頃、「四ツ」と言われ、からかわれました。私は母に、「『四ツ』とは何か。それなら他人は五ツなのか」と尋ねました。母も困ったのでしよう。「皆んな同じ人間なのだが、私たちは部落をつくって一ケ所に住んでいたから差別されるようになった」と話してくれました。

私は母の話に納得できませんでしたが、母があまり困った顔をするのでそれ以上は尋ねませんでした

三、林真理子は吉田勝利と結婚し、正彦、春子、雪子の3人の子を出産しました。真理子は小学校に行けませんでしたから字もかけません。雪子は明るく、しっかりした子に育ちました。

昭和52年、雪子は青葉ケ丘女子高等学校に入学しました。母の林真理子は体も弱く、働くこともできないので貧乏でした。それで雪子を高校にやるお金はなかったのですが、同和の奨学金が出るということで高校にやることにしたのです。

しかし雪子が2年生になった時、奨学金が出なくなりました。真理子も私も雪子に奨学金が出ないのだから学校は諦めなさいと言いました。ところが、雪子は泣いて泣いて言うことを聞かず、絶対に行くと言ってごはんも食べませんでした。

何日もそんな日が続き、私も姉もそんな雪子を見て何とがしてやりたいと思いましたが、どうにもできませんでした。結局雪子は高校を中退しました。

雪子のことを思う度にかわいそうでなりません。そして貧乏は嫌だとつくづく思いました。


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