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● 17年10月02日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士2 №199 若松高校奨学金事件 ⑨ 陳述書Ⅱ



夫太郎は昭和14年10月2日若松区波打地区で生まれました。太郎は6人兄弟の長男でした。太郎の父は馬車で石炭などの運搬をしていました。家が貧乏なので学校にはほとんど行けなかったそうです。「貧乏人の子だくさん」で遊ぶときにも勉強するときにも子供をおぶって行ったそうです。

学校にもなかなか行けず、半年ぶりに学校へ行くと教室に自分の机がなくて泣いたこともあるそうです。学校に行くときも弟をおぶって行くから皆から嫌がられ、とうとう学校に行かなくなったそうです。だから小学校の2、3年までしか行っておらず、字を書くことができません。

太郎は、小さい頃は子守りをし、少し大きくなってからは父の手伝いをして馬車の積荷の手伝いをしていました。12歳の時には山九運輸に勤務し始めました。太郎の青春はただ働くばかりであったと話しています。

波打地区の人たちは若松の中でも、「沖田人」と呼ばれて差別されました。「沖田人と遊ぶな」と言われ、太郎はそのことで何回もケンカをしたそうです。

私達の子供は明子(昭和34年5月15日生)、肇 (同36年5月16日生)、真由美(同38年2月20日生)の3人です。

長女の明子は同和の奨学金をもらい、青葉女子学園に行きました。ところが、肇は八幡西高校に入学しましたが、奨学金をもらえませんでした。

肇が入学するためには25万円くらいかかり、夫の友人から借りました。月謝が月1万5000円で、通学費等を合わせると約2万円くらいかかりました。肇は3年間新聞配達をして働きました。それでもお金が足りず、何ケ月か遅れることがありましたが、やっと去年の3月に卒業しました。

けれども、妹の真由美は高校にやることができませんでした。妹の真由美が高校入学するときには肇は2年生で、2人を同時に高校に行かせることはとてもできませんでした。同和の奨学金さえあれば妹も高校にやることができたはずなのに残念でなりません。

私たちは、肇が高校に行き、真由美が高校入学するときにお金が必要だったのです。今お金をもらっても回復することはできません。夫は学校に行けなかったから、子供たちだけは学校に行かせたいと考えて肇だけは自力で行かせたのです。しかし、真由美はとうとう行かせることができませんでした。真由美はそのことでひがみもせず、今働きに行っております。けれど、私たち夫婦は残念で残念でなりません。


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