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● 18年04月01日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士3 №03 安部弁護士の「私の中学時代」(いじめ)



昭和31年4月、私は津屋崎中学校に入学した。津屋崎中学校には津屋崎小学校から200人、勝浦小学校から100人が進学してきた。

津屋崎中学校では勝浦小学校のトップであった新海征二君と私が成績でトップを争った。その頃のスポーツの花形は卓球であった。部活でも私は新海君とライバルだった。互いに争いあったので、津屋崎中学校の卓球部は強く、宗像郡の大会で優勝した。

新海君は成績もよく、スポーツも万能で背も高く、統率力もあったので勝浦組の大将であった。私は成績はよかったが、腕力がなく、理屈が多くて、津屋崎組の大将の器ではなかった。しかし正義感だけは強かった。

ある時、金田君を四、五人の男子生徒がいじめていた。私が「どうして、いじめるのか」と尋ねると「こいつは朝鮮だ」という。私が「朝鮮人のどこが悪いのか」と抗議すると「お前も朝鮮か」と一緒に無茶苦茶殴られた。正義の味方は弱かったのだ。

ある時、授業が退屈なので、隣の赤間君と私語をしていると先生が「赤間、私語はやめんか。ここに来て立っておけ」と教壇の横に立たせた。私は「先生、それはおかしい。赤間君は僕としゃべっていたのだから、赤間君だけ立たせるのは差別だ。私も立つ。」といって赤間君と一緒に立った。私を先生が立たせなかったのは、私が成績優秀だったからだ。教師はこんな差別を平気でした。私はそれが許せなかった。

さて津屋崎中学校ではある日私と田中美智子さんの相合カサの落書きがたくさん書かれた。この落書の仕掛人は新海君であった。戦後男女共学にはなったが、田舎では男女が口を聞くことはなく私も田中さんと口をきいたことすらなかった。今なら相合カサの落書きくらいでいじめにはならないだろうが、男女が口をきく事もない時代にはこれはいじめだった。ところが田中さんは美人で成績も私達に次いで良く、私は密かに思慕の情を寄せていたので、この相合カサの落書きを喜んだ。

作戦に失敗した新海君は今度は「ガボ」というあだ名を私につけて、言いふらした。(なぜ、「ガボ」なのかはあまりにも下品なので書けない。)

つづく


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