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● 18年06月21日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士3 №11 北九州第一法律事務所からの独立



入 所

1971年4月、私は北九州第一法律事務所に入所した。弁護士は6人で、所長は三浦久氏だった。

三浦氏は衆議院議員選挙に立候補し、5回当選し、3回落選した。所長が立候補する以上北九州第一法律事務所の弁護士も事務局も選挙運勤を必死で行った。私はもちろん弁護士になるまで選挙運動なるものをしたことはなかった。そもそも日本共産党に投票したこともなかった。宣伝カーに乗せられて選挙の演説をしながら、何で私がこんなことをしなければならないのか疑問をもちながらもやらざるをえなかった。第一法律事務所は新人が次々に入所し、先輩が次々に退所していくので、何年か経つと私が事務所の選挙の責任者になった。

私は原則として選挙運動期間中は弁護士の仕事はせずに選挙運動に集中した。参議院と違って衆議院は解散、総選挙となるのでいつ選挙があるのかわからない。前もって裁判の期日を開けておくことが出来なかった。やむなく裁判を変更して選挙運動をした。いい加減な弁護活動をしていると依頼者から自分の裁判をスッポかして選挙運動とは何かと不満が起こる。

私は選挙になると、「いざ鎌倉」と法廷をスッポかしてもいいだけの依頼者との信頼関係を得るために依頼者によりそって、必ず勝つ弁護活動をした。依頼者との信頼関係ができていると安部先生がそんなに選挙に必死なら、私もお手伝いをしなければと選挙に協力してくれた。私にとって選挙は日頃の弁護活動を必死にするために役に立っていた。

戸別訪問

1977年4月池永満弁護士が入所した。それ以来事務所の選挙運動が劇的に変化した。それまでの選挙運動は依頼者と相談者に支持拡大を依頼し、日本共産党の中小の演説会に応援弁士として参加し、日本共産党の宣伝カーに乗って各所で応援演説をすることだった。ところが池永氏は依頼者を戸別訪問しようと言い出した。戸別訪問は公職選挙法違反である。私達はその選挙違反の裁判を現にしていた。

「戸別訪問は公職選挙法違反なのでしたくない」と私は言いたかったが、言わなかった。私は事務所の選挙責任者であり、もはや古参の弁護士である。私がいやだと言い出すと池永氏以外は「僕もやらない」と言い出すに決まっている。そこで私は言った。

「戸別訪問しても捕まらない方法はあるのか」

池永「先生の心配はわかりますが、訪問する先は依頼者です。依頼者が先生を警察に突き出すわけがありません。戸別訪問で捕まるのは軒並みに戸別訪問をするので、創価学会員や、警察官の所を訪問し、御用となってしまうのです。戸別訪問をしないで三浦久が当選するわけがありません。共産党員は知り合いを戸別訪問をして支持を集めるのです。個別訪問をして政策を話し、支持拡大を訴えて支持者を増やしていくのです。」

事務所の弁護士はほとんどが学生から司法修習生になった。活動家はいない。選挙運動は事務所に入ってからである。池永氏は学生運動の活動家で、東大闘争でも幹部として活動していた。九州大学卒業後は国会議員の秘書をしており、選挙のプロである。ただ、まだ事務所に入所して3年目なので、彼が言っただけでは誰もついて来ない。私が彼を助けるしかない。選挙運動はどれが効果的かなどと考えていたのでは何も出来ない。出来ることをすべてやって結果を待つしかない。

つづく


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