● 18年07月11日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士3 №13 北九州第一法律事務所からの独立 その3



当選した日の夜

三浦久は当選した。その日の夜池永氏と二人で三浦久氏の自宅を訪問した。二人の目的は北九州第一法律事務所から独立することの許しを求めるためであった。そうとは知らない三浦氏は我々二人を歓迎してくれた。「いやあ、僕が当選したのは君たち二人の働きによるものだ。本当にありがとう」と上機嫌だった。

私達は独立の話を言い出せずに三浦氏宅を出た。門を出たところでケンカが始まった。

私「三浦先生があぁ言っているから、二人が一緒に事務所を出るわけにはいかない。私は9年間事務所で働いた。あなたはたったの3年間だから、もう少し働きなさい」

池永「何をおっしやるうさぎさん。そもそも独立を言い出したのは私が先です。先生は第一法律事務所で骨をうずめてもいいと思っていたのに、私が独立を言い出すと俺もと思いついたにすぎません。必ず先生も独立できるようにしてあげますので、今回は私が先です」

議論をしても勝てる相手ではないので、ここは引いて、後日、一人で三浦久氏の自宅に行って「独立したい」旨を言い出した。三浦氏がどうして独立するのかと尋ねたので私は答えた。

「先生も御存知のように北九州市は福岡2区と4区に別れています。北九州第一法律事務所の客は半分ずつです。ところが今回、私達がよんだ票は4区が7500、2区は2000です。それは福岡4区の侯補者が先生で第一法律事務所が片寄った選挙をするからです。私が福岡2区に事務所を作って福岡2区の票も三浦久と同じように取れるようにしたいのです。また、これからの法律事務所は地域にどんどん展開すべきです。」

三浦氏「君の気持ちはわかった。2区の人達に開いてみよう。これは重大なことなので君の独立のことは誰にも言ってはいけません」私「わかりました」

一ヶ月後に三浦氏に呼ばれた

「二区の主だった人に聞いたけど、別に二区に法律事務所はいらないといっていたよ。北九州に法律事務所は第一法律事務所で充分だということだったよ」

私は直ちに状況を理解した。二区の人が法律事務所がいらないなんていうことを言うはずがない。三浦氏が二区の主だった人に根回しをして私の独立を阻止をしようとしたのだ。

「わかりました。今回はあきらめます。しかし、いつになったら独立させてもらえますか」

「そうだね、いつまでも引き止めるわけにはいかないね。それじゃ、もう一回選挙をして、僕を当選させたら、独立していい」

かくして池永氏は独立し、九州合同法律事務所を設立し、私は第一法律事務所に残った。ところが半年後に衆議院が解散され、選挙になった。定数4のところに5人立候補したが、5人目の候補者は無投票で共産党に議席は渡さないと言うことで立候補した泡沫候補で、三浦氏は当選した。

送別会

私が独立することになり、事務所の送別会とは別に、三浦氏と吉野高幸弁護士が私のために送別会をしてくれた。

三浦氏は「ちーちゃん(私は三浦氏に「二人だけの時はちーちゃんでもいいですけど、一応これでも弁護士先生ですから、他人がいる時には安部君と呼んでもらえませんか」といった。

三浦氏は「そり々一そうだね」とその時は納得するが古稀を迎える今でも三浦氏は私の名前が千春なので「ちーちゃん」という)がいなくなれば第一も終わりだね」とヨイショしてくれた。

すると吉野弁護士が「安部君がいなくても私が若者達と今より立派な第一法律事務所を作ってみせます。安部君がそんなにいいのなら、先生も安部君について行ったらどうですか」と失礼な事を言った。

気の短い私は「長い間お世話になりました」とお膳をひっくり返して出て行きたかったが辛抱した。吉野氏が怒るのももっともと思ったからである。

そもそも頭の悪い私が司法試験に合格したのは吉野弁護士の受験指導が良かったからである。
私の父は小学校の先生で、親戚にも法曹関係者はいない。

サラリーマンはいやだから、高校の先生にでもなろうかなと思っていた。司法試験の合格の展望が見えない時、何度もやめようかと思った。その度に励ましてくれて、一浪しただけで合格することができた。大恩人である。そこで三浦氏と吉野氏が東京まで来て「北九州第一法律事務所に入ってくれないか」と誘われた時30分で入所を決めた。

入所して10年、出来の悪い私を鍛えてやっと一人前の弁護士に育ったと思ったら、突然独立したいと言い出したのである。しかし言い出したら、止まらない。

私の決意は固かった。かくして私は北九州第一法律事務所を独立し、黒崎合同法律事務所を設立した。そして衆議院福岡二区の日本共産党の後援会長となり、小沢和秋代議士の当選のために活動した。

その後、門司区には前野宗俊弁護士、戸畑区には配川壽好弁護士、小倉南区には高木健康弁護士、小倉東には荒牧啓一弁護士が独立し、黒崎合同法律事務所は6人、小倉南法律事務所は3人、小倉東は4人の協同事務所になった。結果として北九州の各区で独立するという私の方針は正しかった。


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