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● 18年07月21日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士3 №14 前野宗俊氏と共に



はじめに

私は前野氏と一緒に1968年に司法試験に合格した。前野氏は九大ストレート、司法試験も4年生で合格した。自由法曹団の団員にはすべてストレートで合格した優秀な人が多いが、彼もその中の1人である。しかし、彼はもう少し勉強したいと大学院に進んだ。そして私から2年遅れて25期司法修習生になり、北九州第一法律事務所に入所した。25期は高木健康弁護士と2人入所したので、高木氏がカネミ油症事件、前野氏は北九州市職労を担当した。

私の妻は司法試験の私の教え子、前野氏の妻も自分の教え子である。皆司法試験勉強で知り合ったので、子供が生まれてからも4人でそれぞれの子を連れて、海や山に遊びに行った。

私はひょうきん弁護士という本を出版した。今でも黒崎合同法律事務所のホームページでしつこく連載している。当然のことながら、前野氏は一番多く登場する。

仕事は北九州市職労の事件を一緒にやった。

北九州市図書司書不当解雇事件

3人の図書司書が首を切られた。3人は北九州市に採用される時、「形式は1年更新の嘱託職員ですが定年はありませんので働ける限り働いて下さい。」と言われていた。ところが、北九州市は人件費削減のために更新を拒否した。

そこで3人は裁判に訴えた。私達は学校司書の必要性、嘱託でも更新を続けると更新拒否はできないという法理諭を立証するために勉強し、書証を提出し、証人の申謂をした。

ところが。裁判の途中で突然、裁判所は審理を打ち切り結審してしまった、この裁判の主任はA先輩弁護士だった。A弁護士 は私達に相談もなく、直ちに裁判官の忌避中立をした。すると裁判所はこれを簡易却下した。まだ新米弁護士だった私と前野氏は呆気に取られてどうしたらいいのか全く分からなかった、するとA弁護士は「後は君たちに任せるから、」と言って出張に行ってしまった。

2人で調べて簡易却下には即時抗告ができることが分かった。ただ1週間以内に申立なければならないという制限があった。私達は簡易却下と即時抗告について勉強し、この事件のこれまでの経過、証人尋問と本人尋問の必要性を書いた即時抗告の申立書を作成し、夜中に裁判所の宿直室に持参して提出した。

私と前野氏の2人で毎日酒を飲みながらA弁護士の悪口を言っていたら、妻から「人の悪口を言って楽しく酒が飲めますね。あんた達いい加減にしなさい。」と怒られた。

裁判長は私達の申立書に対する反論を書き、福岡高等裁判所での審理になった。

弁護士会の有力者が私達と裁判所との仲介に入り、裁判所は結審はやめ、裁判を続けることで和解した。しかしこうなると、この裁判の判決は決まっている。敗訴する。負けさせようとする裁判所に対して絶対に負けない主張・証拠を積み上げて2人で判決に臨んだ。

裁判長は「原告の謂求を棄却する。」と宜告した上で、裁判長の席から私達2人を「ざまぁ見ろ」とばかりにニヤリと笑った(忌避したのは私達ではないのに)。

今もいるかも知れないが、こんな低劣な裁判官がいた。


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