● 18年03月21日 ひょうきん弁護士
ひょうきん弁護士3 №02 安部弁護士の素顔に迫る その2
★受験勉強は苦しくなかったですか?
受験勉強はある意味でバカにならないとやれない。
私達は九大の図書館で毎日勉強しましたが、図書館の回りを掘って、ソフトボールとバットでゴルフをした。日曜日には毎週練習試験があったが、それが終ると皆んなでサントリーレットを買ってきて、ピーナッツとかかまぼこを肴に酒を飲んだ。
★ところで、先生は共産党の二区後援会の会長をされていますが、共産党支援者になったのはいつからですか?(前から一度尋ねたかったんです)
九大で司法試験の勉強している頃(私は生まれていない頃だな…)、佐世保にエンタープライズという空母が入港した。私は学生運動など、した事はなかったけれども、この頃は三派全学連が華やか頃で、私も心情三派だった。
私がいつものように松法会のサークルに勉強に行くと、Kという今は裁判官をしている友人が、「諸君、今は勉強などしている時ではない。皆んなエンタープライズ入港阻止のために佐世保に行こう!」と言い出した。
K君も全くノンポリ学生だったけれど、そんな時代だったんです。そこで、皆んなで佐世保に行った。佐世保橋で三派全学連と警察の機動隊が対峙していた。
三派全学連は投石を繰り返していたが、警察が警告をし、佐世保の回りの道路と基地の中から制圧に乗り出すと、あっという間に隊列を乱して逃げ出した。
私は病院の入り口で見ていたが、学生が病院に逃げ込むと私の目の前で機動隊が警棒で無茶苦茶に叩いていた。
これを見て、暴力で世の中を変えるなんてことはできない。やっぱり少しずつ国民が賢くなって民主主義を発展させるしかないと思った。この時から三派全学連のやり方は間違っていると思った。それが日本共産党を支持するきっかけじゃなかったかな。
★最後に、弁護士になって一番心に残る事件はどれですか?
そりゃあ、同和の裁判ですよ。<力強い回答あり!>
「谷市長は間違っている」という本もつくったけど、同和の裁判で北九州市から十七回勝った裁判ですね。(やったあ!)北九州市は部落解放同盟のいうことを聞かない人の子供を保育所から追い出したり、奨学金を打ち切ったりしたんです。また、北九州市の同和行政を批判する集会をしようとすると、市民会館や公民館を貸さないという暴挙をやったんです。
裁判所は当然、そんな北九州市の同和行政を認めるわけはないから、裁判には勝ち続けたわけ。でもそれでも北九州市は反省していない。結局、土地ころがしが発覚して、やっと方針を変更した。この時にもこの間違った北九州市の方針を批判するのは、日本共産党だけだった。自民党はもちろん、社会党、公明党、民主党も解放同盟の批判をしなかった。そんなことなどで少しずつ日本共産党の熱心な応援者になった。
私のやった裁判が、北九州市の同和行政を正常化させるために少しは役に立ったんじゃないかと思います。(私もそう思います。)