ひょうきん弁護士2 №18 弁護士40年の表彰を受けて(2012年事務所だよりから) その2
安部 北九州市は昔、同和行政で窓口一本化といわれる政策を行っていました。同和行政は部落解放同盟という民間団体を窓口にして行うというものです。部落解放同盟は無期懲役で確定した狭山裁判を差別裁判といってこれに反対して学校を休 […]
安部 北九州市は昔、同和行政で窓口一本化といわれる政策を行っていました。同和行政は部落解放同盟という民間団体を窓口にして行うというものです。部落解放同盟は無期懲役で確定した狭山裁判を差別裁判といってこれに反対して学校を休 […]
その裁判の立替金が100万円を超えた時、所長代理の吉野弁護士が言った。 「この赤字をどうするのか」 「どうするって、仕方がないじゃないですか」 「原告からお金がもらえないという、お前の気持ちもわかる。しかし、支援の人にカ […]
30年前、私は北九州第一法律事務所に入所した。働く人達の人権を守る弁護士になろうと決意してのことだった。 その当時、北九州第一法律事務所の所長三浦久は北九州市長選挙に出馬し、青年政治家としてのスタートを切っていた。18期 […]
事件が起こった時、新聞は「谷市長肋骨を折る」という見出しで報道した。左第七、第六肋骨骨折の診断で約1ヶ月の安静治療が必要と報道した。そして、戸畑署は傷害と暴力行為の疑いで捜査を始めた。 起訴状は、なぜか傷害の点は全く触れ […]
当選した日の夜 三浦久は当選した。その日の夜池永氏と二人で三浦久氏の自宅を訪問した。二人の目的は北九州第一法律事務所から独立することの許しを求めるためであった。そうとは知らない三浦氏は我々二人を歓迎してくれた。「いやあ、 […]
弁護士達はしぶしぶ依頼者の個別訪問を始めた。 行くと依頼者は「何事ですか」とびっくりしたが 「選挙です」と説明をすると全員歓迎してくれた。 自分は三浦久に投票するし、友人知人にも頼んでみると約束してくれた。 良宅に行った […]
入 所 1971年4月、私は北九州第一法律事務所に入所した。弁護士は6人で、所長は三浦久氏だった。 三浦氏は衆議院議員選挙に立候補し、5回当選し、3回落選した。所長が立候補する以上北九州第一法律事務所の弁護士も事務局も選 […]
筑豊じん肺訴訟―国とは何かを問うた18年4か月 著者 小宮 学 海鳥社 筑豊じん肺訴訟の原告弁護団事務局長であった小宮学弁護士が出版社から本を出版した。 初代弁護団長 松本洋一弁護士 私が敬愛する松本弁護士は小説家志望だ […]
5月1日、メーデーが終ると練習がはじまった。コワ泉純一郎では小泉純一郎を連想し、小泉純一郎が反省するわけがないので私の役は単純一郎となり、小泉純一郎の熱烈な支持者に変わっていた。 私がシナリオを読むと若者達は、「先生、全 […]
私は、幼き頃より勉強が嫌いだった。 私達は、その頃日曜日の模擬試験にむけて、月曜日から土曜日まで図書館で勉強した。一日10時間勉強する仲間もいた。 しかし、勉強が嫌いな私は、月曜日は全く勉強が出来なかった。 火曜日は2時 […]