● 13年11月11日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士2 №64 公安警察官によるスパイ強要



1984(昭和59)年2月7日午後11時20分ころ、北九州市八幡西区黒崎方面から自宅のある芦屋方面へ軽トラックを運転していた川上氏は、後ろからつけてきた乗用車に芦屋町山鹿付近の人家のない場所で追い越されて、車の窓から赤い懐中電灯を振られ停止するように命じられた。

川上氏が指示に従って停止すると、三人の男が車から降りて警察手帳を見せたうえ「交通違反をしている。車には切符がないから駐在所にきてもらう」と言って、川上氏を乗用車に乗せた。同日午後11時40分ころ、川上氏は折尾警察署芦屋派出所の二階の部屋に連れて行かれた。

三人の警官は、一人が出入り口の所に立ち、他の二人が川上氏をはさんで座り、川上氏が脱出できないようにしつつ、「お前を連れてきたのは交通違反で連れてきたんじゃない」「俺たちは左翼対策の者だ」「悪いようにはせんから協力してくれ」「お前は民青やろうが」「グラフの表紙にも出とったし、全国協、全国大会に参加したこともちゃんと調べてあるんど」などと目的を明かした。

そして、川上氏が松田と写っている写真を取り出し、「お前と会っている男は公調 (公安調査庁)や。この写真がばらまかれたら、お前の党員や同盟員としての資格もなくなるし、政治生命もなくなる。芦屋に住んでおれんようになるぞ。民青新聞やら渡しよったろうが。そういうことが県や中央にばれれば、スパイとして査問委員会にかけられるぞ。そんなんなったら大変やろ。俺たちも悪いようにはせんから、共産党や民青の情報を集めるのに協力してくれれば、交通違反も取り消すし、お前の収入の三倍の金は出す」などと川上氏に脅かしと懐柔で、情報提供を強く迫ってきた。 川上氏はこれを拒否したが、三人の警官は同趣旨のことを繰り返し述べて、スパイになるよう強要し続けた。

川上氏は派出所に連れ込まれて約二時間後の11月8日午前1時30分ころ、同日午後一時に喫茶店で再び会うことを約束した。

そこで、ようやく警官らは川上氏を解放した。


<< >>