● 12年05月18日 事件報告
えん罪 引野口事件で無罪判決を勝ち取る
弁護士 田邊 匡彦
1えん罪引野口事件とは?
2004年 (平成16年)3 月24日北九州市八幡西区引野口で片岸みつ子さんの実家に火災が発生し、焼け跡からみつ子さんの実兄古賀俊一さんの死体が発見されました。 俊一さんの胸には刺し傷があり、翌日には福岡県警が捜査本部を立ち上げ、殺人・放火事件として捜査が開始されました。
被害者の古賀俊一さんはアルコール依存症で、妻とは別居状態となり、実家で一人暮らしであったため、妹のみつ子さんは食事を届けたり、洗濯や掃除をしあげたりしており、預金の管理も依頼されていました。 ところが、警察はみつ子さんが俊一さんと預金管理の件でトラブルになって俊一さんを剌したと見込み、まずは逮捕して自白させようとの意図のもとに、みつ子さんが火災の翌日に俊一さんの預金を引き下ろしたのが窃盗罪になるとして、5月23日に別件逮捕しました。 預金の引き下ろしは、従前、俊一さんが子供の学資や葬儀代にしてくれと依頼していたものでしたから、みつ子さんは窃盗の犯意を否認し、殺人・放火についても関与を否認し、起訴後の取調も拒否しました。 すると、更に2年前の事件を掘り起こして、威力業務妨害として別件逮捕しました。 そして、この事件の勾留中に否認を続けるみつ子さんの監房にA子をスパイとして同房させ、A子を事情聴取することによってみつ子さんの犯行関与を探らせ、この中でA子は、「みつ子さんが房内で『兄の首と胸を剌した』と言った」と警察に報告したのです。
2 検察官の主張
この判決に対し、検察庁官が殺人・放火罪の立証の柱としたのは、
- 警察の留置場でA子がみつ子さんから「実兄の首と胸を剌した。」との犯行告白を聞いた。
- この犯行告白を受けて鑑定医が右総頸動脈を再確認すると生前の切損が発見され、この傷が致命傷であった。
- 従って、みつ子さんの犯行告白には「秘密の暴露」があるというものでした。
3 弁護人の主張と裁判の争点
私たち弁護人は、裁判の当初から、同房にスパイを送り込むのは違法捜査であり、A,子証言は全て排除されるべきだ、首の傷からの生体反応はなく、犯行告白の信用性もないと主張し、
被害者から供述をえるために「スパイ」として送り込んだ同房者を利用した捜査の適法性及びこの同房者から得られた「犯行告白」供述の任意性
「犯行告白」の信用性(秘密の暴露の有無) が主な争点となりました。
4 判決の概要
平成20年3月5日、福岡地方裁判所小倉支部は私たち弁護側の主張をほぼ認めて、みつ子さんに殺人・放火について無罪を言い渡しました。
(1)判決は犯行
告白の入手過程の問題点として、警察が同房者を意図的に送り込んで同房状態にしたもので、代用監獄への身柄拘束を搜査に利用したとの誹りを免れない等の理由を挙げ、「犯行告白」の証拠能力を認めることは将来の適正手続き確保の見地からも相当でない」と捜査のあり方を厳しく批判して、「犯行告白」を証拠から排除するとの判断をしました。
(2)又、犯行告白の信用性についても、傷口の状況からだけでは刃物による切り傷と断定できないこと、生前に傷ができた場合に生じる血液中の好中球の増加やフィブリンの存在が認められないことなどから、生前の外傷と認めるには合理的疑いが残るとし、「首を刺した」とする犯行告白は’ 「秘密の暴露」に当たらず、犯人性を認めるほどの信用性があるとは認め難いと、あえて 実体的な認定にも踏み込んで判断しました。
5 一審で無罪確定
この判決に対し、検察庁は一審判決を覆すような新た’な証拠を提出することは困難であるとして控訴せず、この無罪判決は確定しました。
6弁護人としての若干の感想
弁護団には、私の外に、横光弁護士、東弁護士も参加し我が事務所がその中核を担いました。
- 最初の逮捕時から裁判が始まってもずっと接見禁止が付いていたこともあり、長期間毎日面会に行かければならなかったこと、
- 勾留理由開示や勾留に対す準抗告等を次々と申し立てたこと。
- 裁判が始まつてからもA 子が警察のスパイとなっていたことを明らかにするため’に様々な証拠開示要求を行ったこと、
- 検察側の主張を打ち破るため、弁護側の鑑定人を捜すのに苦労したこと。
- 証人尋問準備や弁論要旨作成に多大な時間を要したこと。
など、様々な苦労がありましたが、「無罪」を勝ち取ることができて、それまでの苦労も吹き飛んでしまいました。
最初の逮捕から無罪判決まで4年近くかかつてしまいましたが、警察・検察の汚い捜査手法を暴き出して無辜の人を救うことができ、弁護人として職責を果たせたことをうれしく思っています。