● 12年09月10日 ひょうきん弁護士
ひょうきん弁護士2 №22 松本洋一弁護士
後に北九州市長選に立候補して、谷市長二十五万票、松本洋一23万票と善戦した松本弁護士は福岡県弁護士会小倉部会長選挙に3回立候補して、三回落選した。普通は順番で部会長になる。松本弁護士は様々な部会の世話をしたうえで(これをぞうきん掛けという)会計監査になった。これまでは会計監査が次には部会長になった。会計監査を勤め上げ、部会長に松本弁護士が立候補すると保守派が対立候補者を出し、選挙になった。
「松本はアカではないが北九州第一法律事務所と親しく付き合っているからピンクだ。松本が部会長になったら弁護士会に赤旗がたつ」と保守派は反共攻撃をした。
1回目の選挙では私がこれまで見たことがない弁護士が病院から一時帰宅して投票していた。もう年をとって仕事をしていない弁護士も投票した。恐るべき保守派の力を見せつけられ、松本弁護士は落選した。2回目も落選した。
3回目にはさすがの松本弁護士も弱気になっていた。2回目まではお前達が応援したら勝つ選挙も負けるといって選挙対策本部に入れてくれなかったが、今回はどうしたらいいのかと相談があった。私たちは選挙だからきちんと政策を出して全員に立候補の挨拶状を出すべきだと主張した。松本弁護士は挨拶状を書いたがそこにはどうして自分ではだめなのかと言う弱気がでていた。私は言った。
「こんなのではだめです。金沢の梨木作次朗弁護士は戦争直後、日本共産党が躍進した時に当選して衆議院議員になりました。順番で金沢弁護士会の会長になろうとしたら反共攻撃を受け、5回立候補して五回落選しました。しかし弁護士会にも若者たちが次々に入会してきて、会長として適格者なのに共産党というだけで会長にさせないのはおかしいという声が大きくなって6回目に当選しました。松本弁護士も『俺を部会長にしない限り小倉部会に平和はこない』と保守派を脅せばいいのです」
松本弁護士は「俺はそんな品のないことはできない」と拒否した。
3回目の選挙では松本弁護士と対立候補者の票は同数だった。あらあらどうなるのか思っていたら、松本弁護士が作った選挙規定により年長者が当選することになっており、また落選した。