● 13年01月10日 ひょうきん弁護士
ひょうきん弁護士2 №34 東大生7月入所 1
1969年4月、私は司法研修所に入った。私は「あべ」なので席次が一番で仮のクラス委員になった。
五月、クラス委員の選挙があった。誰かが「安部ちゃんでいいんじゃないの」といい出し、拍手で私に決まった。
六月、久保利秀明氏が昼休みのクラス討論で言った。
「みんなも知っているとおり、東大生闘争のために今年は卒業が遅れた。その東大生を最高裁は七月に司法研修所に入所させようとしている。東大生の中には東大を中退し四月に入所して来た人もいる。(日弁連会長の宇都宮健児氏も仙石由人氏もこの時に東大を中退した)
東大生の七月入所は東大生だけの特別待遇である。法の下の平等を追求する法曹になる者が法曹になる前から特別優遇を受けるのはおかしい。二十三期司法修習生四組の名で、今司法研修所では東大生の七月入所について疑問の声が上がっていることを七月入所組に知らせよう」
反対者もいなかったのでクラスで採択し、七月入所予定の東大生に手紙を送った。
民裁教官からの恫喝
突然、民裁教官から松戸寮にいた私に電話がかかってきた。
「君達が東大生に出した手紙のことで最高裁が怒っている。明日の日曜日に松戸寮にクラスの全員を集めて東大生へ謝罪文を出すようにしなさい」
「クラスのみんなで決めたことです。今さら謝罪文など出せません」
「君がいやなら浅井正君を電話に出しなさい」
浅井氏が電話に出て、翌日松戸寮にクラス全員を集めた。
浅井氏が民裁教官からの電話をみんなに伝えた。
私は藤井氏に意見を求めた。藤井氏は福岡県の鵜崎社会党知事の下で副知事を務め、すでに六十歳を越え、経験豊富だった。
私「こんなことで首になることはないと思いますが」