● 13年05月30日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士2 №48 筑豊じん肺訴訟 1



じん肺は、長期間、大量の粉じんを吸い込むことによって引き起こされる職業病で、古くから「ヨロケ」などと呼ばれ鉱山労働者に恐れられていた。

いったん受けたダメージは元に戻ることはなく、粉じん職場を離れても症状が進む。じん肺の症状や合併症に対する治療法は確立されてきたが、肺を健康な状態に戻す治療法は、まだない。

筑豊じん肺訴訟は1985年12月26日、国と三井鉱山、三井石炭鉱業、三菱マテリアル、住友石炭鉱業、古河機械金属、日鉄鉱業を被告として、福岡地方裁判所飯塚支部に提訴された。

その後、第二次、第三次、第四次訴訟と続き、患者原告169人という、じん肺訴訟では全国最大の規模になっていった。

国を被告とした先行訴訟に、カネミ油症事件があった。

カネミ油症事件とは1968(昭和43)年、北九州市を中心に西日本一帯に発生した食品公害事件である。

北九州では、第一陣、第二陣、第三陣と、次々に訴訟が起こされた。

第一陣は1984年に福岡高裁で国に逆転勝訴し、最高裁に係属した。第二陣は一審で国に勝訴した。ところが1986年五月15日、第二陣控訴審で国に逆転敗訴、PCBの製造者である鐘淵化学工業にも逆転敗訴するという、誰も考えていない事態が起きた。

「司法冬の時代」だった。大東水害訴訟は、堤防の管理を怠った国の責任を問う裁判であるが、この訴訟でも、下級審で勝訴していたものが最高裁でひっくり返された。このような事態が、いくつも発生していた。「国の責任のハードルは非常に高い」というのが司法関係者の常識となり、「国には勝てないのではないか」という雰囲気が醸成された。


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