● 13年10月11日 ひょうきん弁護士
ひょうきん弁護士2 №61 旧満州の旅 ①
旧満州の本
私は旧満州の事を書いた本をこれまで読んできた。
「赤い月」の新京(現長春)。「あの戦争から遠く離れて」(木戸久枝著)の吉林大学。「悲しみは松花江に流して」 の松花江。「アカシヤの街に」(右遠俊郎著)の大連。
一度は行って見たいと思っていた街に中国残留孤児裁判を終わったので弁護団の仲間と行ってきた。
中国残留孤児
私が担当した孤児の話である。
「子どもがいない夫婦にもらわれていったが、その後、次々に夫婦に子どもができた。この夫婦も貧乏だった。孤児は長女として育てられたので、長女だけは新しい服を着せてもらい、次女や三女はいつもそのお下がりだった。孤児は中国人として育てられたが、大きくなって本当は日本人であると聞いた。そこで母親に『私は日本人か』と尋ねると『誰がそんなことを言うのか。あなたは私が生んだ私の子』と怒った。そのために二度と母には聞けず困っていたところ母の弟が『本当は日本人』と教えてくれた。
孤児の帰国が始まると妹や弟が、本当は日本人なのだから日本に帰国するように勧めた。孤児は育ててくれた母親のことを思うとなかなか帰国することはできなかったが、妹や弟が後押ししてくれたので帰国することにした」
敵国の子どもを自分の子として育てる。なかなかできることではない。私はこの旅で中国の人に日本人としてお礼が言いたいと思っていた。
ツアーの企画で残留孤児や養親の支援をしてくれていた石さんらに会ってお礼が言えたのは幸いだった。
「大地の子」や残留孤児の陳述書を読んで、孤児は、養親はもちろん、親戚や近所の人、友人など多くの中国人に助けられて生きてきたと思っていた。
ところが今回の旅で養親は日本人の孤児を引き取ると近所の人にバレるから、引っ越しをした人がいるという話を聞いた。