● 15年10月11日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士2 №131 第二章 闘う弁護士 霊感商法(三)



img-X13093030-0001私の法律事務所には様々な人が様々な相談に来る。

「私の息子は東大二年生ですが、統一協会の合宿所に入ってしまいました。友達の協力でやっと北九州に連れて帰ってきましたが、自宅にいると勝共連合が奪い返しにくるかも知れませんので、現在息子と私と妻と三人でアパートで暮らしています。息子が逃げないように先生から説得していただけないでしょうか」

「私にできるかどうか分かりませんが話して見ましょう」

とアパートに行く。

「あなたにどんな話をしたら納得してもらえるのかよく分かりませんが、私はあなたと同じ20歳の頃、死のうと思っていました。やっと大学に入って『どうして自分は存在しているのか』『何をしたらいいのか』『どのように自分は生きたらいいのか』と真剣に考えると私は自分の生きている意味が見出せなくて苦しんでいました。その頃の柴田翔の『されど我らが日々』という本が芥川賞になっていたのですが、この本の主人公は何をしても白々しい、この白々しさと生きて行かなければならないというのですが、私も同じように何をしても空しいという感じを持っていました。

合同ハイキングに行って女子大生とフォークダンスなんかしていても明るく笑っている自分と、冷やかに笑っている自分とがいて、何事にも夢中になれませんでした。生きていても仕方がないので、死のうと思いました。ブロバリンを買って持ち歩いていました。しかし死ぬ勇気もなくて毎日無気力、怠惰に生き続けました。死ぬこともできない自分がいやになって、また苦しんでいました。そのうち死ぬことはいつでもできる、とにかく30歳まで生きてみよう。30歳まで生きてこの世が無であれば、それから死んでもいいのではないかと、思い直しました。そうしてとにかく生きてきました。30歳になったとき私は弁護士でした。私のようにくだらない人間でも頼りにする人達がいて、私はとても死ねません。生きていたいと思うようになりました。若いときには自分の思想が絶対と思うものですが、思想はいくらでも変っていきます。今あなたは統一協会が絶対と思っているのでしょうが変るのです」


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