● 16年06月11日 ひょうきん弁護士

ひょうきん弁護士2 №155 第三章 ひょうきん弁護士 前はげの小男



img-613093610-0002私か宗像高校一年のとき、校庭で遊んでいると近所の子がやってきた。その子らは私を見ると、

「あっ、おいちゃんはげとる」

と驚きの声を上げた。

私が最初に受けた衝撃だった。年頃になると私も恋をして、せっせとラブレターを出した。

返事はいつも「いつまでも友達でいましょう」というものだった。私はひょうきん者で人畜無害だと、彼女達は信じていた。その私が人並に恋をするとは彼女達にとっては信じられないことだったのである。私のラブレターを読んで「安部さんは小説家になったら」と誉めてくれた人もいた。

私は女ではたびたび泣いたが、泣かしたことはないというのが自慢だった。

私が泣いた原因は「前はげの小男である」と今でも信じている。思えば暗い青春だった。

さて弁護士になるとよくお客さんから年を聞かれる。かけだしの頃は年を知られたくないので、答えるかわりに

「いくつに見えますか」

と問いかえすことにしていた。まず私の年を当てることのできる人はいなかった。

「先生、私は職業柄、わりと正確に年は当てるんですよ。先生は42歳、まあ、上下一歳は違わんでしょう」

「まあ、そんなところです」

と私は答えたが、その時私は二六歳たった。

あるとき若松で赤旗まつりがあった。私はそこの無料法律相談の担当者となり、事務員さんを一人連れて行った。彼女は20歳になったばかりであった。私と彼女を見つけると依頼者が寄ってきて
「やあ先生、御苦労さんです。こちらは先生のお嬢さんですか。よく似ていますね」
と挨拶した。その時、私は29歳で私の長女は一歳だった。
出張をして前野弁護士と二人、新幹線の食堂車で飲んでいた。相席をしていたテーブルの人と仲よしとなり、4人で談笑していた。
「田中角栄は有罪ですよ」
「しかし、金がありますからね。裁判所も買収されるかもしれない」
「そちらの秘書さんはどう思われますか」
と相手は前野弁護士に声をかけた。なんと相手は前野弁護士を私の秘書と勘違いしていたのである。前野弁護士の顔色が怒りのために見る間に変わった。その時
以来、私は親を恨むことをやめた。


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