ひょうきん弁護士3 №06 「司法試験」その1
私が吉野弁護士と知り合ったのは、今から四七年前の秋だった。 その頃九大には、司法試験に合格した先輩が、後輩を受験指導するサークル〝松法会〟があった。 九大は田舎大学なので、大学の授業に出て真面目に勉強しても司法試験には合 […]
私が吉野弁護士と知り合ったのは、今から四七年前の秋だった。 その頃九大には、司法試験に合格した先輩が、後輩を受験指導するサークル〝松法会〟があった。 九大は田舎大学なので、大学の授業に出て真面目に勉強しても司法試験には合 […]
1995年4月1日から福岡県弁護土会小倉支部の部会長に就任しました。小倉部会は北九州市はもちろん中間市・遠賀郡・豊前市・行橋市・京都郡・築上郡など広範囲を含みます。裁判所も小倉支部、検察庁も小倉支部なので弁護士会心小倉部 […]
それから30年たって津屋崎中学校卓球部の仲間から、新海君が博士号をとり、彼の業績が西日本新聞2ページにわたって掲載されたのでお祝をしようと誘いが来た。その新海君は九州大学教授になっていた。 私がうれしそうに「田中美智子さ […]
昭和31年4月、私は津屋崎中学校に入学した。津屋崎中学校には津屋崎小学校から200人、勝浦小学校から100人が進学してきた。 津屋崎中学校では勝浦小学校のトップであった新海征二君と私が成績でトップを争った。その頃のスポー […]
★受験勉強は苦しくなかったですか? 受験勉強はある意味でバカにならないとやれない。 私達は九大の図書館で毎日勉強しましたが、図書館の回りを掘って、ソフトボールとバットでゴルフをした。日曜日には毎週練習試験があったが、それ […]
★出身はどちらですか? 福岡県宗像郡津屋崎町です。 ★どんな少年でしたか。(だいたい想像つく) 正義感だけは強かった。小学校4年生の時、4・5人の子どもが一人の子どもをいじめていたので「何で一人に暴力を振るうか!」と、止 […]
昭和56年10月27日、谷市長は突然記者会見を開き、①北九州市の同和行政改革を断行し、窓口一本化はやめ、個人施策の申請用紙は区役所に置く、②窓口一本化訴訟は裁判所の和解勧告、取り下げに応じる、③同和予算は引きしめる、こと […]
裁判にはお金がかかる。一番かかるのは弁護料だ。私たち弁護士は弁護料をもらって裁判をしている。私の依頼者に金持ちは少ない。お金のない人からも弁護料をもらわなければ私は生活できない。そこで弁護料をタダでするのはその事件がその […]
昭和56年9月21日、私たちはついに刑法247条背任罪で谷市長を告発した。刑法172条には虚偽告訴罪があり、人に刑事処分を受けさせる目的で告発したものは3月以上10年以下の懲役に処すると規定されている。谷市長が虚偽告訴罪 […]
私たちは昭和56年9月14日、部落解放同盟小倉地区協議会書記長木村政男を所得税法238条1項違反で告発した。 告発の内容は以下のとおりである。 告発事実 被告発人は、昭和54年度および同55年度の所得申告に当ってその所有 […]