ひょうきん弁護士3 №10 筑豊じん肺訴訟―国とは何かを問うた18年4か月を読んで
筑豊じん肺訴訟―国とは何かを問うた18年4か月 著者 小宮 学 海鳥社 筑豊じん肺訴訟の原告弁護団事務局長であった小宮学弁護士が出版社から本を出版した。 初代弁護団長 松本洋一弁護士 私が敬愛する松本弁護士は小説家志望だ […]
筑豊じん肺訴訟―国とは何かを問うた18年4か月 著者 小宮 学 海鳥社 筑豊じん肺訴訟の原告弁護団事務局長であった小宮学弁護士が出版社から本を出版した。 初代弁護団長 松本洋一弁護士 私が敬愛する松本弁護士は小説家志望だ […]
5月1日、メーデーが終ると練習がはじまった。コワ泉純一郎では小泉純一郎を連想し、小泉純一郎が反省するわけがないので私の役は単純一郎となり、小泉純一郎の熱烈な支持者に変わっていた。 私がシナリオを読むと若者達は、「先生、全 […]
私は、幼き頃より勉強が嫌いだった。 私達は、その頃日曜日の模擬試験にむけて、月曜日から土曜日まで図書館で勉強した。一日10時間勉強する仲間もいた。 しかし、勉強が嫌いな私は、月曜日は全く勉強が出来なかった。 火曜日は2時 […]
私が吉野弁護士と知り合ったのは、今から四七年前の秋だった。 その頃九大には、司法試験に合格した先輩が、後輩を受験指導するサークル〝松法会〟があった。 九大は田舎大学なので、大学の授業に出て真面目に勉強しても司法試験には合 […]
1995年4月1日から福岡県弁護土会小倉支部の部会長に就任しました。小倉部会は北九州市はもちろん中間市・遠賀郡・豊前市・行橋市・京都郡・築上郡など広範囲を含みます。裁判所も小倉支部、検察庁も小倉支部なので弁護士会心小倉部 […]
それから30年たって津屋崎中学校卓球部の仲間から、新海君が博士号をとり、彼の業績が西日本新聞2ページにわたって掲載されたのでお祝をしようと誘いが来た。その新海君は九州大学教授になっていた。 私がうれしそうに「田中美智子さ […]
昭和31年4月、私は津屋崎中学校に入学した。津屋崎中学校には津屋崎小学校から200人、勝浦小学校から100人が進学してきた。 津屋崎中学校では勝浦小学校のトップであった新海征二君と私が成績でトップを争った。その頃のスポー […]
★受験勉強は苦しくなかったですか? 受験勉強はある意味でバカにならないとやれない。 私達は九大の図書館で毎日勉強しましたが、図書館の回りを掘って、ソフトボールとバットでゴルフをした。日曜日には毎週練習試験があったが、それ […]
★出身はどちらですか? 福岡県宗像郡津屋崎町です。 ★どんな少年でしたか。(だいたい想像つく) 正義感だけは強かった。小学校4年生の時、4・5人の子どもが一人の子どもをいじめていたので「何で一人に暴力を振るうか!」と、止 […]
昭和56年10月27日、谷市長は突然記者会見を開き、①北九州市の同和行政改革を断行し、窓口一本化はやめ、個人施策の申請用紙は区役所に置く、②窓口一本化訴訟は裁判所の和解勧告、取り下げに応じる、③同和予算は引きしめる、こと […]